写植指定をAI化、年3,000時間削減
スクウェア・エニックスが2026年4月16日、マンガ編集の現場に積み上がっていた地味な作業をAIに任せると発表した。コミック編集部全体で年間約3,000時間——8人が3カ月以上かかりきりになる計算の業務が、削減の対象になる。
相手はMantra株式会社。マンガの翻訳・組版(文字の配置を整える作業)をAI技術で手がけてきた専門企業だ。両社が共同開発したのが「写植指定AI」。マンガのセリフに使うフォント(文字の書体)やサイズを、AIが自動で提案するツールである。ただし、このAIの起点は経営判断でも外部提案でもない——写植指定を日々担っていた現場の編集者の一声だった。
マンガの「見えない職人芸」とは
マンガを読んでいて、叫び声のセリフが太くて大きな文字で書かれ、ひそひそ話が細くて小さな文字になっているのに気づいたことはあるだろうか。あの文字の形や大きさを一コマずつ決める作業が「写植指定」だ。感情の強さ、場面の空気感、キャラクターの声質——それらに合わせてフォント(文字の書体)とサイズと配置を選ぶ。読者はまず気づかない。だが、これが狂うとセリフの温度が伝わらなくなる。
これまでは定規と赤ペンによる手仕事だった。アナログ原稿に細かく書き込み、デジタルデータと照合しながら一ページずつ処理する。刊行点数が増えるほど、校了(印刷の締め切り)の時期に作業が集中する。積み重ねが、あの数字になる。
AIが吹き出しを解析してフォントを提案
写植指定AIが「見る」のは、吹き出しの形と文字のデータだけだ。絵は見ない。ストーリーも学習しない。
吹き出しの形が意図を決める
Mantra Engineの仕組み
Mantraが独自開発した画像認識システム「Mantra Engine」が、吹き出しの輪郭を解析する。丸いのか、ギザギザなのか、細長いのか——その形は、そのセリフが持つ感情の種類を示す手がかりだ。AIはそこに文字数・行数・句読点の有無といったデータを組み合わせ、「このフォントが合う」「この配置が読みやすい」という候補を編集者に提示する。
ただし、決めるのは編集者だ。AIが出すのはあくまで候補であり、最終的なフォントの選択と微調整は人間が行う。作家の絵柄やキャラクターの声質は学習対象に入れない——作家の表現スタイルをAIの最適化の外に置くという線引きを、現場が自ら引いた。
1,516ページが示した手応え
本格導入の前に、スクウェア・エニックスは1,516ページ分のβテストを実施した。実際の編集工程に組み込んで動かした結果、βテストに参加した編集者全員が「継続して利用したい」と回答した。現場の全員が「使い続ける」と判断したことを受けて段階的な導入に進み、試算では年間約3,000時間の業務削減が見込まれる。
発案は現場の編集者だった
絵柄を学習させない、判断は編集者が握る——そんな配慮が設計に織り込まれた背景には、このAIの起点がある。
2024年末、社内で開かれたAI業務改善アイデアコンペ。手を挙げたのは外部の技術者でも経営層でもなく、日々写植指定を担ってきた現場の編集者自身だ。「この作業、AIでできませんか」——そう問いかけたのは、誰よりもその仕事の手触りを知っている人間だった。
「AIが仕事を奪う」という語りをよく聞く。だが今回の構図はその逆だ。自分の仕事を一番よく知っている人が、自分でAIに渡す範囲を決めた。社内コンペという仕組みが、現場の声を実装まで運んだ。制度がなければ、そのアイデアは雑談で終わっていたかもしれない。
空いた時間が向かう先
スクウェア・エニックスのプレスリリースは、削減分の使い道として「作家の創造性を引き出すための支援」と「作品プロモーションの強化」を挙げた。要するに、担当作家との対話や読者に作品を届ける仕事——人間でなければ難しい領域に、時間が戻っていく。
Mantraは今回の技術をスクウェア・エニックス社内にとどめるつもりはないとプレスリリースで明らかにした。マンガ業界全体への製品化を目指すという。写植指定に費やされている時間は、スクエニだけの問題ではないからだ。編集部の数だけ、同じ手作業が繰り返されている。
現場が自ら選んで導入し、手が回らなかった仕事に時間を振り向ける。この構図が業界に広がるかどうかは、Mantraが次に誰の扉を叩くかにかかっている。

